宴は、突然の火災と、夢の実の騒ぎで中断されたが、薬草園の火事を消火し終え、再び湯につかった皆々は、概ね満足した面持ちでそれぞれの床に戻った。すべては年が明けてから。と、ミズキを問い詰めるでなく、生来のんきなものどもの習いらしく、寝息をたてている。年が明けて、元旦は引き続き休みなのだ。怒涛のピークを前に、ゆったり休息をとるために。
反して、経営者たる湯婆々は眉間に深々と縦皺を刻み、腕をくんで溜息をついていた。油屋の最上階、湯婆々の部屋には、若、ハク、千尋、そして釜爺がいた。
「実際のところ、どうなんだい？被害ってやつは」
バスローブ姿のまま、湯婆々がアンティークの椅子から乗り出すように体を浮かせた。
「薬草園は全焼、リン達が奔走してくれましたが、運び出せたのはわずかです」
ひとかけらの感傷もはさまず、事務的な口調でハクが言った。
「で？復旧の方はどうなんだい？釜爺」
目を細め、湯婆々が視線を向けると、しばし、考え込むように天井を仰ぎ見て、釜爺は一瞬若を見、同様、淡々と言った。
「今日明日にどうこうってこたぁねえな、収穫して、加工したモンが随分あるからな」
「そんな事を聞いてんじゃないよ、薬湯ができなくなるまでどれくらいだい？」
「…、まあ、５〜６年は何とか」
釜爺がカリカリと鼻を指で掻く。
「…質問を変えるよ、薬草園を元通りにするには何年かかるんだい？」
湯婆々の瞳の奥底が光った。それは、冷淡な経営者の瞳だった。
釜爺は、溜息をつき、降参の態で視線を落とした。
「１０年だ」
部屋に、沈黙が流れる。皆々は押し黙り、沈黙が重さとなって場を支配していた。釜爺の薬草園は栽培に時間のかかるものが多くあった。多くは数年の内に元に戻るだろう。だが、すべてでは無い。
「あの娘に客をとらせたらどれくらいの稼ぎになる？え？ハク」
かぶりを振って湯婆々がハクに問うた。
「婆々！そんな！」
若が口を挟む。
「黙ってな！坊！だいたい薬草園に付け火をしたのはあの娘だってェ話じゃないか！命を取らないだけでも感謝されたいぐらいさ！」
「備前屋ではかなり名を馳せた娘だったそうです、日に３〜４人客をとれば、…そうですね、全体の収益は３割増し、といったところでしょうか？」
湯婆々よりもさらに冷たい語気でハクが言い放った。
「そんな！…ハク…」
千尋が青い顔をして口を挟む。
「千尋…」
ハクが初めて表情を崩した。湯屋のブレーンではない、別の表情が顔を出す。だが、それ以上言葉を続ける事はできなかった。
具体的な策は何もない。いかに油屋といっても、商売をしている、働く者達がいる。それを使い、生かさず殺さず続けていくには時に非情にならざるをえない事がある事を知らない千尋ではなかったが、だからといって感情の起伏を表に出さないほど冷静ではなかったし、今後もそうありたいとは思ってはいなかった。
「…私が、代わりに」
俯いて、声を絞り出す。
「馬鹿な！ダメだそんな事！」
脊髄反射でハクが制した。
「でも！ハク！あの娘だって、若のいる湯屋で…、いくら、責任だからって」
「若とあの娘の気持ちを思いやれるなら私と千里の気持ちも察しておくれ、お願いだから…」
実際、千尋がこちらに残った時、そうした役割がふられそうになった危機は数々あった。それをハクがあらゆる手管をもってして回避してきたのだ。
「薬材の在庫が切れる前に薬草園が元に戻ればいいんだな」
さえぎったのは若だった。決意を秘めた目で、射抜くような視線で母を見た。
「フン、何か策があるっていうのかい？」
母は、いつもの甘い母親の顔ではなく、ハク達に向けるのと同様の、経営者の顔で息子を見やった。
「栽培に時間のかかるものであれば、株の状態でわけてもらう、あるいは自生しているものを探してくる。俺が」
若はきっぱりと言い放った。
「坊、これは、遊びじゃないんだ、あれだけの薬草園を作るのにした釜爺の苦労をあんたは知らない、そう簡単な事じゃないんだよ」
「やってみなくちゃわからない、釜爺、どうなんだ？それは可能な事なのか？」
「不可能だ、とは言わねえ、できなくはない、だが、たいした難行だ、あちこち探し歩かなけりゃならんもんもある」
「可能性があるのなら、俺はそれに賭けたい。元々、ミズキの事は俺が原因だ、事前に対策が取れなかった俺が咎を追うべきだろう、薬草園の復旧は俺がやる、釜爺、協力してもらえるだろうか」
意を決した一人の男の顔がそこにはあった。
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