再会(2)

 夢を見る。
 大きな赤子。
 表情の無い、巨大な生き物。
 ぎらついた目の老婆と、
 やさしい目の、同じ顔をした老婆。
 私をしかりとばす、気の強い、姉のような少女。
 沢山の腕を持って薬草を煎じていた老人。
 そして…。
 禿にした童子。
 そんな表現をどこで思いついたのだろう。
 国語の教科書。便覧にあった童。
 私は知っている。
 涼しげな目をしたあれは、少年だったか、竜だったか。
 記憶は日に日におぼろになり、
 もしやあれは夢ではなかったか。
 あの夏の日。
 この町に越してきたあの日見たあれは、
 夢ではなかったのか。

「また、泣きながら目を覚ましたんだ。」
 少女はベットサイドにある髪留めに手を伸ばす。あの日から、他の髪留めをつける気になれないのは何故だろう。手に残っているあの感触、私を押し出したあの手は誰のものだったか。夢の中では確かだったはずなのに、目が覚めたとたんに哀しくなる。手の届かない愛しさと、もどかしさ。あれから何年経っただろうか。
 荻野千尋は、十六歳になっていた。背も伸び、体の線もまろやかになってはいるが、十歳の頃と変わらない、髪をひとつに高く、ポニーテールに結っている。電車で6個先の高校に通うようになっていた。
 入試の朝、電車で向かう時、何故だか、哀しくなって、涙が出た。突然に。自分でもどうしたのか、まったくわからなくて、受験の緊張からだと友人には言ったが、ともかく、あの十歳の夏の日から、心の一部をどこかへ置き忘れてきたような、不思議な錯覚に陥る。
 制服に着替え、カーテンを開き、空を見上げる。雲ひとつ無い上天気。強い日差しに一瞬眩暈を感じる。一筋の白い線が青空に見えた。心臓をわしづかみにされたような痛み。よく見ると、それは飛行機雲で、
「なあんだ。」とひとりごちて、カーテンを閉じた。それでも、心臓のどきどきは止まない。何だろう。私、今、何かと見間違えた。何と?何と見間違えたんだろう。解らない。どうして思い出せないんだろう。とても大切な事のはずなのに。
「千尋ー!起きてるの?」階下で、母親の呼ぶ声がした。
「はーい!」バタバタと足音をたてて、千尋は階段を下りていった。

「明日から夏休みだからって、浮き足立って怪我なんかしないでちょうだいね。」
桜模様の入ったお茶碗に盛り付けたご飯を渡しながら、千尋の母は心配そうな顔をしている。
「寄り道しないで、まっすぐ帰って来るんですよ。」
「やめてよ。もう子供じゃないんだから。」納豆をかき混ぜながら娘が答える。
「やーでも、暑くなると、ヘンなのがうろつきだすからな。千尋は母さんに似て美人なんだから、気をつけるんだぞ。なあ、母さん、千尋にも携帯電話持たせてやった方がいんじゃないか?」
「買ってくれるの?!お父さん!!」目を輝かせて娘が問い返す。
「やだ。そんな贅沢な。必要ありませんよ。それでなくても、千尋ったら長電話で…。」 おねだりの機会かと思いきや、お小言になりそうだったので、千尋は黙々と朝食をたいらげることに専念した。それでなくても、今日は終業式で、通知表が帰ってくる。こればかりは高校生になった今でも、変わらず悩みの種だった。
「ご馳走様でした!」
お茶もそこそこ、ダイニングから洗面所に向かい、歯を磨き、鏡に向かっていーーーーっと歯をむき出す。美人。なんて言ってくれるの。多分お父さんだけよね。あーあ。せめてもう少し目がぱっちりしてたらなあ。
「千尋!急がないと、電車の時間よー!」
「はーーーい。」

 電車に乗る。駅から。窓の外は山ばかり。山…のはずだ。電車から海を眺めたことなどなかったはずだ。千尋一家で海に行くときは、車道楽な父の愛車だし、友人同士で海など、許される歳ではなかったし。それなのに何故か電車に乗ると、決まって海が眼に浮かぶ。どこで見たのか。どこだったのか。
 ふいに、背後から声がした。
「セン。…やっと見つけた。」
「え?!」
 混雑した電車の中の事。あわてて振り返っても、視線を交わす者は無い。
 …なんだろう。空耳?でも、どこかで聞いた事のある声だった。

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