空と海の交わる場所〜ヨノハテ〜(1)

 ただずっと君を見ていた。
その視線の先にあるものさえすべて。
追いかける。逃げていく。その先に、何故捕らえられない者を追うのか。
ここにいる。
 そう、声に出していたならば、結末はまた別のものになっていたのだろうか。
 君の視線はその向きを変えてくれただろうか。
 たった一人で、すべてを解決しようとしていた君を、救う事が果たしてできたのか。
 今となってはわからない。それはもう、たいそうな昔の事。君の元へ届くはずの切符ももはや使い果たして、今日も…。


「おじさーん。」引き戸を開けて入ってきた人間の少女。どこかで見た事のある、意志をこめた瞳。確かに、どこかで会っていた少女。そう。人間の。
「千尋!千尋じゃないか。」
 ひとしきり、再会の挨拶が済むと、釜爺は薬を煎じていた2本の手を止めて、もう1本の手を振り上げて、ガンガンと木槌を叩いた。
「きゅーけーーい。」
 千尋と共に入ってきたのは、ハクだ。並んで座布団に座り、釜爺と向き合う。

「何だ。今日は二人揃って。結婚式の相談か?」
千尋とハクは揃って赤面し、あわててハクが否定した。
「いえ、今日はその話じゃありません。」
 …「今日は」という事はいつかその話もするような口ぶりではあった。
 どうやら、釜爺も同じ考えだったらしく、驚嘆の表情を浮かべている。
「ハクも言うようになった。」と、しきりに関心している。「やはり、愛の力かの。」そんな事まで言い出した。際限なく、脱線しそうな勢いだ。
「あの…っ。おばあちゃんから聞いたんです。おじさんが、二人の秘密を知っていると。」
「教えて欲しいんです。湯婆々の体のありかを。」
 どちらも、真剣な眼差しだった。釜爺は黙ってヤカンを口に運び、ごくごくと飲み干した。ぷはあ、とため息をつき、口をぬぐう。
「銭婆から聞いちまったか。」
 二人は並んで、うなずいた。
 釜爺はしばし遠くを見るような目をして、物入れを探し始めた。今度は、以前のようにぞんざいなしまい方では無い。油紙にくるまれ、ぴっちりと封のしてある包みを取り出す。封を解き、油紙を剥くと、中から出てきたのは3枚の定期券だった。海原電鉄と書かれたそれに、出発地点は書かれておらず、行き先だけが書いてある。「ヨノハテ」それが行き先のようだった。これは、夜行列車のパスだ。そう言って、取り出した券をハクに渡す。
「期限はねえ。ただし、以前千尋にも言ったが、帰りは無い。行ったらそれでしまいだ。今度は6駅先なんて距離じゃねえ。終点までだ。…それでも行くのか?」
 言葉は返さず、意志の光を秘めた眼差しで答える。
「お前さん達がそう言うんじゃ仕方無い。好きにするがいいさ。…だがな。あそこは、本当にヤバいんだ。特に千尋。お前は人間だ。それでも…、」言いかけて釜爺は口をつぐんだ。ハクが千尋をかばうようにそっと肩を抱いている。
「愚問のようだな。まあ、気ィつけて行きな。…と、そうだ。」思いついて、再び釜爺はもの入れを探る。取り出したのは油屋の紋の入った印籠だった。
「ワシの煎じた薬が入っている。何かあった時。といっても、そんなすごい効き目があるわけじゃあないんだが。まあ、何かの役に立つかもしれない。持っていきな。」
 そう言うと、千尋に印籠を手渡した。
「千尋。これからいろんなつらい事があるだろう。だが、ハクを信じな。そして、ハクを助けた自分を信じるんだ。お前ならきっと、目的を達成する事ができるだろう。」そう言うと、歯を剥き出しにして、にかっと笑った。照れくさそうに鼻の頭を掻いている。

 釜爺の元を辞し、二人はボイラー室を出る。
「ぐっとらっく。」そう言って、釜爺は二人を送り出した。

 カラカラと、札が降って来る。今日も忙しくなりそうだった。


「あんたも入ってきちゃあどうだ。汚いところで、たいしたもてなしもできないが、ここに来るのは久しぶりだろう。」
 引き戸の隙間から入ってきたのは、人をかたどった紙。…銭婆の式神だった。
 式神を核にし、銭婆が姿を映し出す。
「なんだい、あいかわらず無愛想だねえ。ちっとはこっちを見たらどうさ。釜爺。」
「ヘッ!千尋ならともかく、こんな婆あ見たってなんの特にもなりゃせんわい。」
 旧知の仲のごとくに言葉を交わす。釜爺は銭婆に一瞥もくれず、黙々と薬湯の為の薬草を煎じていた。
「…でも、ありがとうよ。やっぱり、まだとっておいてくれたんだね。」哀しそうに、銭婆が顔を歪めた。
「フン!まあ、青春の思い出ってやつだからな。」釜爺はあくまで銭婆に向き合おうとはしない。
「あんたと会わなくなって…どれくらいたつんだろうねえ。」哀しそうではあるが、どこか懐かしい事を思い出すように、銭婆は釜爺に問い掛けるように、独り言のように言う。「結局、ここの薬湯はあんたでもってるようなもんだ。妹の代わりに礼を言わせてもらうよ。稀代の薬師だったあんたに、こんな役目をさせて…悪いとは思ってる。」
「おいおい!なんだってんだ!急にしめっぽい事言い出しおって!」
 ずっと背を向けていた釜爺が振り向く。銭婆の姿は、泣いているようにも見えた。
「ああ…まったく、昔っからちっとも変わってねえな。ちったあ自分の事も考えろ。お前さんは、妹のことばかり気にかけすぎだ!」後に続きそうになる言葉をあわてて飲み込む。何十年も、口にする事のできなかった言葉が、ふいに出そうになる。一本の腕が、腰の手ぬぐいを銭婆に差し出した。
「なんだい、これ、汚いねえ。それに、あたしゃ今実態が無いんだ。いくら手ぬぐいを貸してもらったって、何にもなりゃしないよ。」かすかに瞳に涙を溜めて、それでも楽しそうに銭婆は言った。
「あー、あー、どーせわしゃ気が効かんよ。」
 そう言って向き直った釜爺の顔が少し赤みがかっていたのは、釜の炎の照り返しのせいではなかった。

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