以来、備前屋では若あるところにミズキあり、というのが定説となってしまった。とにかく追い掛け回す、流石に処罰の一件以来夜這いに来ることはなかったが、ミズキの黄色い「若様ぁ〜」の声の聞こえない日は無かった。

「よう、色男、どうだ、茶でも飲んでいかんか」

 1日の仕事を終え、部屋に戻ろうとする若をカズラギが呼び止めた。

「…やめてよ、そういう言い方するの」

 困惑した若だったが、茶の誘いは断らず、カズラギの後について部屋に招かれる。

「ミズキは、役を解かれたそうだな」

 カズラギの言葉には答えず、黙って若は茶をすする。

「まあ、確かに、惚れた男のいる女が上の空で相手をしたって、おもしろかぁないからな、今は厨房で働いてるって?綺麗な着物着て、チヤホヤされてたってのに、今じゃした働きだ、健気じゃねえか、全部お前さんの為だろうが」

 気にせずカズラギが続けた。

「俺が頼んだわけじゃない」

 タン!と音を響かせて、若が湯のみを置く。

「カズラギまで、そんな風に言うとは思わなかった」

「修行がたんねえって言ってるんだよ」

 いつになく真剣な表情でカズラギが言った。

「湯屋を継ごうってお前さんが女の一人くらいあしらえんでどうする」

「ちゃんと断ったよ、俺だって、だけど着いて来るんだ、あいつが」

 片手で顔を抑えると、指と指で前髪を挟んで、若がうめく。

「ギリギリで、嫌われたくない、と、考えてるのさ、お前さんは、ミズキもそういう部分を見透かしてるんだ、結局てめえに隙があるんだよ」

「別に嫌いなわけじゃない!」

「じゃあ何で答えてやんねーんだよ」

 お互いで激功し合い、一瞬その場が静まり返る。

「…そんな気分になれない」

 ぼそりと呟くと、カズラギは笑いだした。

「なんだよ、お前、その立派なガタイは飾りかよ」

「うるさいな」

 ひとしきり笑うと、カズラギは最後に言った。

「若、お前のそれは優しさじゃねえ、ただの優柔不断だ」




 カズラギの言葉と、釜爺の言葉が重なる。結局そのまま、逃げるようにして若は備前屋を出たのだった。

 ミズキの行動力や思い切りの良さというのは見ていてすがすがしいほどで、本当に、追いかけられているのが自分でなかったらきっと応援したい気分にさえなったろう。

 ただやはり、好意以上の気持ちを持つことができなかった。…では千里は?

 そこでやはり考えが詰まる。これもやはり言葉にするのは難しい。視界に入っていると安心する。そばにいるとうれしい、…そして、ずっとそばにいたいと思う。そうした気持ちを何と呼ぶのか、恋と呼んでいいものか。多分、今が「その」時なんだろう。大きく息をつき、寝台に入ろうと手をかけたところで、ノックの音がした。扉へ近づいていって開けると、そこには千里が立っていた。

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