駆けて行く娘の後ろ姿を見つめて、立ち上がった千尋が、誰ともなしに言う。

「隠れてないで出てきたら?…お父さん?」

 いつからいたのか、物陰に隠れるようにして、側にいたのは、娘を心配するあまり、仕事をうっちゃってきてしまった帳場の要。むしろ、今度はハクの方が泣きそうだ。

「千尋〜〜〜」

 …と、情けない声を出す。

「あらあら、今度はこっちが洪水かしら」

 笑って千尋は、さっき千里にしたように、綿入れごとハクを抱きしめた。

「もう、そんな声出さないで」

「でも、千尋、あの子は…千里はまだ10歳で…」

「そうね」

 泣きそうな父親に母親が、妻ではなく、恋人の顔で囁いた。

「でも、…私も、あなたに会った時からずっと恋をしていたのよ」

 ちょっと照れて、身を離そうとした千尋を、今度はハクが捕まえた。

「本当に?」

「…多分」

「!?多分って!?」

「だって、私、元の世界に戻ってから、16の時にハクに再会するまで、ハクの事を忘れていたんですもの…でも、もう一度、会って、やっぱり好きになったの」

 そう言うと、千尋はいたずらぽく笑った。

「…じゃあ、何で私はあんなに我慢を…」

 柱まで追い詰た千尋を、両腕で閉じ込めて、ハクが目を伏せる。

「???我慢…って」

 両腕と柱に囲まれて、動けなくなった千尋が怪訝そうに見つめ返す。

「私は…自信が無かった。私は千尋を愛していたけど、本当に千尋は私の事を好いていてくれてはいないのかもしれないと思っていた」

「どうして!?今更」

「…聞くのが、怖かったから…、もう、元の世界には戻れなかったし、千尋は私を頼りにするしかないだろう、…と、思っていたから」

 どんどん語尾がにごっていく。

「…それなのに、あんなコト?」

 千尋の言葉に、ハクの顔が赤く染まり、しどろもどろに言う。

「…我慢したんだ、それでも」

 上目遣いで、なじるように千尋が言った。

「痛かったのよ」

「だから、あれは…」

 必死で言い訳をしようとするハクが可笑しくて、いとおしくて、

「ん…っ」

 千尋は自らハクの唇を塞いだ。軽く触れるだけで、すぐに千尋の唇が離れていく。名残惜しそうに、ハクの顔は一層千尋に近づいた。せつなく、もどかしく、ハクの両腕は折り曲げられ、千尋を閉じ込める。

「…千尋…っ」

「覚えてる?この場所だったのよ」

 せまってくるハクの唇を自分の人差し指で止めて、千尋が囁く。

「…覚えてるさ」

 いつまでも「おあずけ」ではたまらないとばかりに、今度はハクがゆっくりと、千尋に口付けた、今度は、深く、…とても深く。千尋が手にしていた綿入れが床に落ち、今度は衣擦れの音に変わる。

 そして、二人は、いつも以上に「仲良く」時を過ごしたのだった。


 両親が、お互いの愛を確かめ合っている頃、娘は先ほどの落ち込みはどこへやら、元気よく駆けて行った、自覚してしまった気持ちを確かめる為に。

恋すてふわが名はまだき立ちにけり
人しれずこそ思ひそめしか

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