湯浴みする神々と、奔走するもの達の喧騒からはずれた一室で、男は明かりを細くして、脇息にもたれかかっていた。これから娘の手によって開くであろう襖に向き合い、煙管に火をつけ、一息つく。火鉢に煙管をたてかけると、注いだきりそのままにしておいたせいでぬるくなってしまった杯を乾し、わずかにこぼれた酒を手の甲でぬぐった。
あと少し、もう少しで願いがかなう。必要なのは龍の娘。その身と、心。長い年月、探しに探して、ようやく巡り合った彼女は、ただの道具にするには惜しい娘のようだった。手ごたえのある、そして、ただ気が強いだけの娘ではない。あるいは、もっと違った出会い方をしていたら、また別の未来もあったのかもしれない、とも思った。だが、永の悲願達成の為に、これから彼女の心を引き裂く。愉悦と、歓喜と、憎しみと懊悩とがないまぜになって男の心をわずかに乱す。
壊してしまいたいという欲望をかきたてずにはいられない危うさと、癒して欲しいと願わずにはいられない慈愛。一途に恋しい者を慕うひたむきさは、いとおしくもあり、また憎らしくもあった。愛されてまっすぐに育まれた者のまばゆさは、そうでない心の者に、いつでも深い影を落とす。そうした純粋な者達をどれほど傷つけ、踏みつけていかねばならないのか…。後悔する殊勝さが無いわけではないが、そうした行為の際に心躍らせる自分自身を常に自覚している。きっともう、自分は狂っているに相違ない。と、酒によるものではない軽い酩酊が、心地よく全身に広がっていった。
思いついて、懐から手のひらに収まるほどの大きさの珠を取り出した。翡翠のようなしっとりした光沢をもったそれの、ひんやりした感触を、手のひらで堪能する。
「彼」のあの時の表情を思い出す。龍の娘同様、龍を父にもつあの青年は、まったくもってたいしたお人よしだったと言えた。傷ついた者を、助けようとする義侠心など持ち合わせるから…。
と、残忍そうな笑みを口元に浮かべ、心底憐れむように向けられた視線を思い出すと表情が消えた。おめでたい、世間知らずな生き物。…だが
自嘲気味に口元を歪めた男の顔には、先ほどの薄笑いはなく、深い哀惜と、過去への後悔がにじんで浮かんでくるようだった。
ややあって、すうと音をたてて襖が開くと、薄明かりにぼんやりと、娘の白い肌が際立った。
「おや、もう少し着飾ってもらえると、僕自身目の保養だったんだけどね」
そう言った男の顔は、先ほどの苦悩などみじんも感じさせない。
「まあ、いいか、どうせすぐ脱いでもらうんだし」
青ざめている様子は、むしろそのびくついた空気でわかった。
「さあ…おいで」
男が千里へ向けて手を差し伸べた。
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