自称若こと、坊が油屋に戻って以来、千里と若は逢瀬を繰り返していた…、といっても、若は大人で千里は子供、いわゆる逢瀬…というのは若干語弊があるかもしれない。湯屋の仕事が終わる夜明け、千里が若の部屋へ行き、とりとめのない話に興じたり(多くは千尋とハクの昔話、三人でした冒険の話、かつて油屋であった出来事や、坊がいない間湯屋でおきた出来事を話合うというものだった)、時には、若が千里に魔法の手ほどきをする、といった感じでいたって健全…とはいっても、周りを欺いての逢瀬はスリリングで、こっそり部屋を抜け出し、再び自分の部屋へ戻る日々を、千里は10歳なりに楽しんでいるようだった。
もちろん、たった一人で男の部屋へ忍んで行く…などというのは、やはり大きな声で言えることではない。…が、女中部屋の住人はそれに気づいていたし、かつまた、そうした二人を微笑ましく見守っていたものだった。…その日、までは。
その日、いつもなら、眠る直前には千里を帰していた若だったが、疲れていたのだろうか、うっかり先に眠ってしまった。
若の寝台の上で、湯婆々謹製、色とりどりの図版を眺めながら、眠ってしまった若は、まるで自分よりも幼い子供のようで、そっと髪に触れると、思いのほかわやらかく、同じく横になって、寝顔を眺めているうち、見入ってしまった千里も、そのままうっかり眠りこんでしまったのだった。
どたばたどたばたどたばたどたばた…。
けたたましい足音で、先に目を覚ました千里は、既に夕暮れ、湯屋の仕事始めの時間であることに驚愕し、…そして。
ばあああああああん!!!!
勢い良く扉を開けた、形相のハクに驚いた。
「坊!!!!!!」
いまにも竜身になりそうなすさまじい気を放っている父親に、流石の千里もギョっとした。若…坊は少し寝ぼけているらしく…。
「んん??もう…時間か?坊は…まだ眠いゾ…」
と、あろうことか、千里の膝に顔をうずめる。安らいで、今にも猫なで声をだすかのように頬擦りする。ふいに、歳不相応な幼さを垣間見て、千里は嬉しかったのだが…今は状況が悪かった。
「お…、お父さん、これは…」
「どきなさい、千里」
それでも、必死で怒りを押さえているのは、娘の前で最後の尊厳を保ちたかったのか。
が、しかし、再び寝ぼけて起き上がった若の夜着がしどけなくはだけているのを見て怒りが頂点に達した。
「不埒者ーーーーーーーーーーー!!!」
油屋中に響き渡るかと思える怒声が、さすがの低血圧をも起こした。
「若様!!逃げてええ!!!」
轟音とともに楼閣の一部が崩れた。
「セーーーーン!!」
大声で呼ぶリンの声で、湯女たちにこまごまとした指示を出していた千尋が振りむいた。
「リンさん?!どうしたの?」
「どうしたの?じゃないぜ。ハクが楼閣で暴れてる」
「へ?!」
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