「いらっしゃいませ。ようこそおいでくださいました。」
にっこりと、笑う。甲冑を脱ぎ、直垂姿になった坊はたすきをかけて玄関に立つ。次から次へやってくる神々を大湯へ、部屋へと案内する。時に青蛙、兄役に指示を出しながら采配をふるう姿は堂々としており、突然やってきたにも関わらず、指示に無駄が無い。
「三つ子の魂百までも…。てコトかね。」
階段の上から、湯婆々とハクが坊の仕事振りを見守っていた。
「子供の頃の記憶、というのは以外と忘れないものです。あとは…やはり備前屋での仕込みがよかったのでしょうね。風格さえありますよ。」
「これは…、あんたに礼を言わなきゃなるまいね。」
「それが、契約ですから。」
「いくつになってもかわいげがないね。」
「性格です。」
湯婆々とハクはおだやかに笑った。
その時だった。
「若様!若様ぁ!」
青蛙がその顔をいっそう青くして跳ねて来る。
「下働きの娘が、お客様にそそうを。大変な剣幕でいらして…。」
宴の席で、下働きの一人が酌を強要された…というのが事の発端だったらしい。それを、もう一人の下働きの娘が割って入り、客に意見をした。というのだ。
坊が広間へ向かうと、途中で同じく、事の収集にやって来た女中頭のリンに会った。
「へ…坊…様?いつ帰ったのさ。」
「話はあとだ。状況は?!」
「どうもインネンつけられてるみたいなんだよねえ。昨日から逗留してる客なんだけど、その時からあの子に目ェつけてたみたいでさ。一応ボディーガード代わりに一人つけてたんだけど、それが裏目に出ちまったみたいだ。」
「意見したというのはその娘か?誰だ。」
「千里…。ハクとセンの娘だよ。」
並んで歩くと、既に坊の方が頭ふたつほど大きい。リンも背の高い方だが、それ以上に坊の背が伸びた。という事のようだ。
宴の間に着くと、泣いている少女をかばうようにして、もう一人の少女が立ちはだかっていた。その先にいるのは…。
ヒヒ神だった。そう、十数年前、千尋の身にふりかかった災厄。守りきれなかった記憶がよみがえった。おそらく、同じ神ではないだろう。だが、好色そうな笑みは種族を超えているのだろうか。
ヒヒ神が、少女の腕を取ろうと手を伸ばす。横から入ってそれを阻んだのは坊だった。泣きじゃくる少女をリンが抱きしめる。
「お待ち下さい。」ヒヒ神の腕を取り、坊が見下ろす。
「何かそそうがあったとの事ですが。」
威圧する表情に、ヒヒ神の好色な笑みが消えた。
「い、いや、その…。」
「酒の相手をご所望との事、至りませんで申し訳ありませんでした。…リン!」
「あ、ハイ。」
「白拍子達をここへ。」
泣いている娘と、千里の手を取って、リンはその場を離れた。程なく白拍子達がやってくる。どやどやと、場が一気に華やいだ。
「お客様におかれましては、宴の相手をご所望…とうけたまわりましたがよろしいでしょうか。下働きの娘のご無礼。深くお詫び申し上げます。」
正座して、深く頭をたれた。朗々とした声は、堂に入っており、反論の余地を与えなかった。ほどなく、ヒヒ神を取り囲むように白拍子の一団が酌をはじめると、とたんに上機嫌になり、娘に対しては名残惜しそうではあったが、威圧する坊に気おされたのか、純粋に楽しむことにしたようだ。
坊が宴の席を後にすると、薄暗がりに、少女が立っていた。…千里だった。
「…ごめんなさい。」
うつむいて、もうしわけなさそうに言った。
「私、あの子を助けたくて…それで。お客様に。」
膝をつき、少女に視線を合わせ、坊はやさしく少女の髪を撫ぜた。
「大切なものを守ろうとして、自分の身を投げ出すとは、お前は父親そっくりだな。」
「お父さんに?」
「…そう。お前の父も、母を守る為に自分の身を投げ出した。」
もう、とっくにわかっていたのだ。自分の入り込む隙間などどこにもないのだと。それでも。本当に、センの事が好きだった。二人の姿を見ているのが辛かった。
センへの思い、ハクへの尊敬。真実、越えたいと、願ったのもまた確かで…。
「若様?」
我知らず、坊の目から涙がこぼれた。
千里は驚いた。どう見ても大人、しかも先ほどはみごとな手際で事態を収集した青年が泣いているのだ。
不思議ないとおしさで、千里は坊を抱きしめて、頬に口付けた。
坊は驚いて思わず飛び退った。目を白黒させて千里を見る。
「あ、あのっ…助けてくれてありがとう。じゃあ、私仕事に戻らないと。」
坊は、千里の唇の触れた頬をおさえてしばし呆然としていた。
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