千里は、薬草園にあった辺りを一人でうろうろしていた。若が旅に出るのは明日の朝、父からそれを聞いた時、思ったよりも落ち着いている自分に驚きながら、それでも安らかに眠る事などできず、かといって若の元に行くこともできず、一人になれる場所を探してたどり着いたのがそこだったのだ。
火はすっかり消え、冷え冷えとした瓦礫の山が広がっている。
だって若様はずっといなくなるわけじゃないもの。
そう、口に出しては言わず、小石を蹴る。
いつか、戻って来るもの。
何年先か、…わからないけれども。
だって、やっと好きだって。
視界の中からいなくなってしまう、いつ会えるかも、わからない。
いっそついていきたい、とさえ、千里は思った。許される事ではないけれど。
だが、すぐにかぶりを振って、甘い自分の考えを振り払った。
若様は遊びに行くのではないのだもの。私がついていったって、足を引っ張ることはあっても、役になんて、立てない。
今は、ただ、ただ、幼い我が身がうらめしく、無力な自分が不甲斐なかった。
「千里」
ふいに声をかけられて、驚く。声の主は、千里の思い人。
「…若様」
その表情には、少々の疲労が浮かんではいたが、いつもの若で、だからいっそう千里は辛くなって、笑顔を返すことができなかった。
「眠れないのか?」
こっくりと頷く。
いなや、若は千里を抱え上げた。
「!…若様!?」
と、声をあげた時には、すでに千里は空にいた。抱き上げられて空を飛ぶのは初めてではなかったが、若の顔があまりにも近くにあるのに驚いて顔をそむけてしまう。
そんな千里を気にもかけず、若はボイラー室から伸びる煙突の上に降りた。
雪原の向こうがうっすらと明るくなっている。新年の日の光は、もうじき大地を照らそうとしていた。
「ハクから、聞いたか?」
再び千里は黙って頷いた。
冷たい風が二人をなぶり、吐きだす息をいっそう白くする。若は自身の短慮に気づくと、あわてて千里を抱き上げて煙突から降りようとした。無意識に、他から干渉されない場所を選んでいた事に今更気づく。
「すまん、寒かったな、ここは」
ばつが悪そうに視線をそらそうとした時、腕の中の千里が若の腕にしがみついた。すっかり体が冷え切っている。手も冷たい。
「…千里…」
「…から」
耳元で千里が小さく囁く。
「待ってるから…、私、ずっと、待ってるから」
しがみついた千里の手をゆっくりと取り、若は自分の頬にあてた。少しでも、手が暖かくなるように。そうしておいて、今度は自分の手で千里の頬に触れる。
冷たさに、千里が一瞬身をすくめた。
「ならば俺も約束する、必ず戻って来て、千里、お前を俺の花嫁にする。…俺の子を、産んでくれるか?」
いとおしいさに、若の手が千里の頬をなでると、千里の涙が伝って落ちる。
「!嫌か?」
驚いて、若が問うと、千里は首を振り、そして小さな声で「はい」とだけ言った。
…互いの手が、各々の頬を包むようにして見つめ合うと、どちらからともなく唇を重ねた。
お互いの存在を確かめ合うように、深く、ゆっくりと。
新年の光の中で、若は千里を確かめる、千里は若を確かめる。ただただ、お互いの存在だけが世界のすべてであるかのように。
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