「若様〜〜〜!!!わかさま、わかさま、若っ様ぁ〜〜!!!」
バタバタと大きな足音をさせて母屋の外れを目指す少女が一人。ぬばたまの黒髪つややかに、色は白く、紅もつけずにその唇はあざやかな桜色。黙って座っていればかなりの美少女…のはずが、取り乱して駆けてくる。
勢いよく引き戸を開ける、と、雑然と本や標本の積まれた薄暗い部屋の中で、老人が身を起こす。
「何だ何だ、やかましい」
声は不機嫌そうであったが、その表情は、これからまきおこるであろう騒動に胸躍らせているようにも見える。
「カズラギ様っ!若様は…あのお方はどちらですかっ!?」
息を切らせながら尋ねる。…が、
「ああ…、帰ったよ」
「どこに!?」
「実家に」
「そんな…そんなああ!!」
少女はその場に泣き崩れた。
ヨノハテの駅、旅支度の若に、見送りはヒコのみだった。
「いいのか?何も言わずに出て行って」
にやにや笑いながらヒコが尋ねる。
「カズラギさんにも、世話になった皆にも挨拶はした…ヌシ…にも」
若干語気が鈍るのは、いまだに解けないわだかまりのせいか、それでも、備前屋にいるうち数度、言葉を交わしてはいた。
「おやあ?一人名前が抜けているようじゃが?」
「…誰の事を…」
赤面した坊の声に、遠くからの叫びが重なった。
「若様ぁ〜〜♪」
赤い顔を青くして、坊があわてて車両に乗り込むと、ヒコは肩を震わせて笑いをこらえる。
「そうじゃけんにせずともよいではないか」
「うっ…うるさいな…」
ふてくされて若がうつむく。とどめにヒコが耳元で囁いた。
「まさかお主、既に手をつけたのではあるまいな」
かっ!と赤くなって腕を振り上げようとした時、扉が閉まった。ゆっくりと、車両がホームを滑り出て行く。
窓から、駆けてくる少女が見えた。髪を振り乱して、息をきらしているのだろう。
若は窓から背を向け、荷物を抱え込むようにして席についた。
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