賑やかな宴席を避けるようにして、若とカオナシは倉庫から樽ごと失敬してきた酒を酌み交わしていた。

 カオナシが、朱の杯になみなみと注がれた酒を、胴体部分の口をあんぐりと開いて流し込む。

 欄干にもたれかかり、滝のごとく落下していく湯を眺めながら、若も杯を乾す。

 元々、口数の少ない友人ではあるが、今は黙って酒に付き合ってもらえるのがありがたい。と、若は思っていた。結局正体はわからぬまま、叔母の元で過ごすこの異形は、そののっぺりとした容貌に似ず、たいそう手先が器用で、編物から、裁縫、細かな金細工など、近頃は湯女達の装飾品も請われて作っているらしい、時々銭婆の元を出て、油屋まで作品を持って来たりする。

 樽につっこんだままの柄杓で酒をくみ出し、互いの杯に注ぎ、また乾す、そんな単調な動作を、しばらく繰り返した後。

「カオナシぃ…」

 少し酔ったのか、いささか呂律のまわらない口調で若がカオナシに問い掛ける。

 ぷはぁ、と、飲み干した杯を下に置いて、カオナシが若に向き直った。若が続ける。

「お前さ、今はサミシクないのか?」

 かつて、千尋が不思議の町に迷い込んだばかりの頃、カオナシは突然現れた。青蛙を飲み込み、不思議な術で砂金の塊を操り、御大尽のフリをして湯屋を貸しきり、湯といわず、料理と言わず、手当たり次第に蹂躙し、肥大しきったところで、はじけた。

 どんなに食べても、どれほどもてはやされようとも。(もちろんそれは砂金に目の眩んだ湯屋の者達の追従にすぎなかったのだが)満たされないままに、センを欲した。

 サミシイ、サミシイ、センホシイ、センホシイ…。

 銭婆によって、ネズミの姿に変えられた若(当時の坊)は、千尋の肩の上でそれを一望した。

 砂金にも、美食にも、千尋の心は揺り動かされる事は無く、逆上したカオナシに、取り込まれそうになったというのに、千尋の態度は毅然としていた。あくまでも。

 ニガダンゴによって浄化されたその異形は、以降沼の底で、たいそう穏やかに暮らしている。

 当時の千尋の言葉を借りるのであれば、ミズキには、多分若の欲しいものは出せない。

 どんなに美しく、魅力のある女だとしても。若は自分の心の真実にそむく事はできないのだから。

 けれども…。

「アッ、アッ、アッ…」

 無機質な面のようなカオナシの顔が、それでも起用に笑顔を作ってみせた。指先が、若を指し、賑やかな宴席を指す。そして、再び、はにかんだように、…笑った。

(ダイジョウブ、イマハミンナイルカラ、サミシクナイ)

 そんな風に、言っているように、若には見えた。

「そうか…」

 己の意を決したように、若は空になった杯を見つめた。

 チーン!、と、エレベーターの音がして、程なく、バタバタとけたたましく足音が近づいて来た。

 それはリンで、背後に長身のいかつい男を従えていた。屈強そうなその若者は、六本の腕を持ち、そして、丸い黒眼鏡をかけていた。

「若!」

 様が抜けているゾ、という言葉を挟む隙のないほどに、リンの表情は切羽詰っていた。

「あいつ!どこだよ!あのミズキって娘は!」

 今にも若の胸ぐらに掴みかかりそうな勢いで、リンが詰め寄る。

「ミズキ?ミズキなら厨房か広間だろう、何か作ると言っていたから」

「それが!問題なんだっっ!!」

 そう言ってリンが指差した先にいる、屈強な見慣れぬ若者。

「釜爺だっ!あいつの作ったモン食ってこんなんなっちまったんだよ!!」

「はぁ?」

 驚いて向けられた若の視線に、釜爺と言われた男が苦く笑う。

「どうやら、夢の実を使ったみてェだな」

「でも、あれが遡るのは10歳って…」

 かつて、釜爺の薬草園での会話を思い出して若が答える。

 赤い実で10歳若返り、青い実で10歳年をとるという…。

「おそらくは濃縮させたんじゃろうな」

 低い声、確かにそれは釜爺のものだった。だが、少なくとも30歳は若がえっているように見える。今の釜爺の姿は若と10歳と離れていない。

「わしのこたぁいい、どのみち、時間がたてばいずれは戻る、だがな、10歳くらいの子供が、仮に濃縮した赤い実のエキスを口にしたら…、あるいは、胎児以前まで戻ってしまったら…」

 母の胎内でなければ命を維持できない状態になる、だが、周囲に羊水は…無い。

「まさか…っ」

 リン、カオナシ、釜爺、若は互いに顔を見合わせ、広間に向かって駆け出した。

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