千尋が不思議な町に残って、数年が過ぎていた。
「何だってぇぇぇ!!」
油屋の最上階。湯婆々の部屋から、湯屋中に響きそうな程に、驚嘆の声が轟いた。
巨大で豪奢な机には、山積の書類。湯婆々のアクセサリーが散乱し、ひらひらと舞い上がった紙があたりに飛び交っている。
机の前には、帳場を預かるハクと、仲居の一人、千尋が並んで立っていた。真っ直ぐに湯婆々を見つめるハクと、俯いて真っ赤になっている千尋がなんとも対照的だ。
「セン!」
ほつれ毛をかきあげて湯婆々が問い掛ける。そして、千尋の返事も待たずに続けた。
「お前がこちら側に残るのを決めた時に言った筈だよ。ハクと所帯をもちたいのならそれでかまわない。ただし、二人が一人前になったら…。とね。」
目を細め、
「そして、こうも言った筈だ。油屋の、風紀を乱すようなことはつつしむように。ともね。」
こほん。とひとつ咳払いをした。
びくっと体を震わせて、いっそう千尋が赤くなった。
ハクは、涼しそうな表情で、居直っているようにも見えた。
「まったく。いつのまに、…仕込んだんだい。」
あきれて湯婆々が溜息をついた。
千尋が真っ赤になった顔を両手で覆う。
「…湯婆々様、言い方が露骨すぎます。」
少しも表情を崩さず、しれっとハクが言った。
千尋の妊娠は、すでに油屋中の知るところとなっていた。その第一報を坊はボイラー室で聞いた。
バタバタと足音が聞こえたかと思うと、引き戸が開き、息もつかずにリンが叫ぶ。
「釜爺!センのやつ、おめでただってさ!」
坊の持っていた薬壷が落ち、薬草が散った。
「あれ…。坊様、こちらにいたんですか。」
坊の姿に気づいて、リンが今更ながらに口を両手で覆う。
「坊ってゆーな!若だっ!」
「…スイマセン。若。様。」
リンは、まずった…という視線を釜爺に投げる。
リンにむけられた背中がわなわなと震えている。釜爺が覗き込むと、どうやら坊は目に涙を溜めているようだ。
「おい、大丈夫か。若。」
釜爺が尋ねると、坊は両の拳を握り締め、俯き、声を絞り出すように、
「…大人なんて。…大人なんて、嫌いだっっっ!!!」
悲痛な声が、今度は地下でまきおこった。
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