少女が一人、橋のたもとで遊んでいた。蝶を追いかけている。網ももたず、その美しさに魅入られたのか、ふらふらと後を着いていく。
橋の欄干に上がり、手を伸ばそうとした、瞬間、バランスを崩す。
あわや落ちそうになった少女を、救う手が伸びる。
背の高い、男だった。
すぐそばに、赤ん坊を抱いた女もいる。どうやら若い夫婦のようだった。
横からすくうようにして、少女を横抱きにした若い父親が、少女を降ろす。
「あぶないよ。」
低くてやさしい声がする。
くしゃくしゃになってしまった髪を、若い母親が、抱いていた赤ん坊を父親に渡し、やさしく手ですいてくれた。そして、きらきらと光る髪留めを取り出す。
「きれい…。」
少女が言うと、若い母親はかすかに微笑んで、言った。
「あなたにあげる。」
それを、少女に手渡した。
「ありがとう!」
危ない目に遭った事も、もう忘れてしまったのか、少女が目を輝かす。
髪をひとつに束ねて結い上げてもらう。少しお姉さんになったようでうれしかった。
すると、若い父親に抱かれた赤ん坊が、ぐずりだした。
「赤ちゃん。泣いちゃう?」
少女が尋ねると、若い父親と母親は少女の前にしゃがみこんで、赤ん坊を少女の目の高さにあわせた。
「ほら。お姉ちゃんが心配してくれてるよ。」
おずおずと、少女が手を伸ばすと、泣きそうになっていた、赤ん坊に笑顔が戻った。
「かわいいね。」
若夫婦にむけて、少女も笑った。
「…お父さんとお母さんは?」
「お父さんは会社。…お母さんは…。」
少女が言いかけると、遠くで少女を呼ぶ声がした。
「知尋ーーーー!」
そう、チヒロと、呼ぶ声がした。
「お母さんが呼んでる。ありがとう、お姉ちゃん!」
振りむいて、少女は母親の元へ向かって駆け出した。
若い夫婦が見つめる先に、少女と母親がいる。
母親は、娘の姿に驚いた。いなくなった娘が戻って来た気がした。…が、それは錯覚で、音の同じ名をつけたのも、もはや娘が戻って来ないことを確信したからではなかったのか。…ただ、その髪留めには見覚えがあった。
「知尋、それ、どうしたの?」
もう一人の娘に尋ねる。
「もらったの、あそこのお姉さんに。」
少女の指差した先に、赤ん坊を抱いた若い夫婦がいた。
見覚えのある、あれは。
「…千尋!?」
すう、と、幻のように消えてしまう。
母親は、そのままそこに座り込んだ。
「どうしたの?お母さん。どこか痛い?」
突然泣き出した母親に、娘が驚く。
「ううん、うれしいの。…うれしいのよ。」
十六の夏、戻って来なかった娘。
「幸せ…なのね。」
一目だけの邂逅。母親は、いなくなった娘が幸せであることを知ることができて、うれしかった。
娘は、おそらく行ったのだろう。この町に来た時に迷い込んだあの不思議な町へ。まるで、初めから決まっていたことのように。
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