カラの王国(2)

 その時だった。
 一本の三叉戟が轟音と共に大地に突き刺さり、女の動きを封じた。槍の飛んできた方向を見ると、その武器の大きさには不似合いな一人の小柄な若者が馬上からこちらを見つめている。若者は猿のような素早い動きで馬を飛び降りると、瞬く間に河原までたどり着く。三叉戟によって動きを封じた女に当身をし、抱きかかえ、槍を引き抜いた。
「うぬら何ゆえここにおる。見ればそちらには人間が混じっているではないか。ここは神々のおわすところ、神聖なる湯屋である。速く立ち去れい。」小柄だが、威圧感のある若者だった。
ひるまずに、ハクが答える。
「貴方は『備前屋』の方ですか。」
「いかにも。」
「私は湯屋『油屋』から参りました。ハクと申します。備前屋の主殿にお取次ぎ願いたい。」
「ヌシ様に会いたい…。とな。ではそちらの人間の娘は手土産がわりというわけか。それは失礼した。なるほど、なかなか気がきいている。」なめるように千尋を見る。その視線にゾっとし、千尋は身をすくませた。ハクが、その手をぎゅっと握りしめる。
「いいえ!これは私の連れです。土産などではございません。」
「は!人間が連れとな。これは異な事を。まあ、『油屋』ごとき下賎な湯屋の者では、いたしかたないのであろうが?」あからさまな嘲笑の言葉に、ハクが身を震わせる…先に反応したのは坊だった。
「『油屋』を悪く言うな!坊がゆるさないぞ!」
「童子!えらく威勢がいいな…ハテ、その顔。…どこかで見覚えが?」
 坊と若者が睨みあう。
「『油屋』…そうか、…童子、そなた…。」
 目を細めて、若者は抱えていた女を下に降ろす。
「帰すわけにはいかないくなった!」三叉戟を構えて向き直る。ハクと坊が身構える。若者は一人だが武器を持っている。ハクと坊は丸腰だが、二人。
 先にしかけたのは若者の方だった。神速で間合いを詰め、坊を凪ぎ払う。柄の部分ではじかれた坊が高く舞った。
「坊!」ハクが一瞬気を取られた隙をつかれる。
「遅い!」
 強烈な突きがハク に衝撃を与える。だが、ハクは半歩身を引いて衝撃を最小限までおさえた。体制と呼吸を整え、次の攻撃に備える。
 再度、若者が打ちこんできた。ハクはそれを紙一重でかわし、勢い良く大地を蹴る。両手の中で練られた気の塊が若者の姿を正面に捕らえる。打ちこまれたエネルギーが若者を弾き飛ばした。
 寸での所で両足に力を込め、若者は体を支える。倒れるほどのダメージを与える事はできなかった。
 よろよろと、吹き飛ばされた坊が立ちあがろうとするところへ千尋が駆け寄った。どうやら風圧で飛ばされただけらしく、着地の時にとった受身のおけげで、怪我は無いようだった。
「坊!大丈夫?」
「っててて…。千尋の前でカッコ悪いね。」
 どうやら大丈夫のようだった。立ちあがり、再度向かおうとする。
「坊、無理しないで!」
「やだっ!」
 即答だった。
「あいつは、『油屋』を笑った。下賎だって、僕は絶対許さない!」
 駆けてゆく、坊の背中を、何もできずに千尋は見守っていた。
「ハク!」坊が叫んだ。
「坊!無茶するな。」三叉戟の猛攻を紙一重で避けながらも、ハクは次第に川へ追い詰められていた。
「こっちだ!今度は僕が相手になるぞ!」
「童子が!生意気な、望み通り先に始末してやろう。」地を蹴り、ハクの間合いから離れると、若者は坊へ向き直る。
 繰りだされる槍の猛攻に、坊の身に切り傷が増えていく。
「坊!」
 割って入り、ハクが素手で槍を掴んだ。
「笑止!それがしをなめるな!」槍ごと運河へ向かい吹き飛ばされる。水しぶきを高くあげ、ハクは運河の中へ落ちた。
 腰に帯びていた剣を抜くと、今度は切っ先を坊の喉元に突きつけた。
「勝負あったな。おとなしくするがいい。」
 その時、運河の水が高く舞いあがると、その中から真っ白い竜が現れた。ハクだった。白い竜は若者にとびかかり、その長い体で若者の体を巻きとってしまった。
「う…くっ!」若者が苦痛で顔を歪める。メキメキと、骨のきしむ音がした。
「ハク!やめて!」若者の骨がバラバラになる前に、千尋がハクを止めた。
 竜はおとなしく、その戒めを解き、若者はそのまま意識を失った。


 若者と、女が並んで寝かされ、若者の口元へ水が運ばれる。
「何故、それがしを助けた。」
「ああ、気がついていたんですね。」
 千尋が微笑んだ。
「だって、貴方、坊とハクの命を取ろうとしているように見えなかったんですもの。ギリギリの所で大怪我をしないようにしている…そんな気がして。」
 若者は目をパチクリさせて、驚いた。
「何故、そう思った。」
「え…何となく…なんですけど。」
 千尋の言う通り、若者はハクと坊の命を奪う気は無かった。ギリギリの部分で、意識を失わせる事ができれば、とそう思っていた。だが、簡単に見破られるとは、しかも、人間の娘に。
「たいした娘だ。そなたは。」
 若者は屈託なく、微笑んだ。
「ああ、気がつかれましたか。」
 馬を引きながら、坊とハクは近づいて来る。
「おぬし、ハクと申したか。」
「はい。」
「この娘、それがしに譲れ。」
「は?」
 笑顔のまま、ハクのこめかみに筋が走る。
「え?」
 千尋が後ずさりしそうとしたところを、若者がすかさず腕を掴み、抱き寄せた。
「さすれば、ヌシ様への目通り、かなえてやってもよい。」
 じたばたと、若者の腕の中で千尋がもがく。ハクの表情はかろうじて笑顔を作ってはいるが、馬を引く腕は既にわなわなとうち震えていた。
 坊が心配そうにハクを覗きこんだ…が、恐ろしくて声をかける事ができない。
「おことわりいたします…と申しましたら?」
「知れたこと。うぬを殺し、娘を奪う。」
「負けぬ気でしたらご存分に。」
 にっこりと、ハクが菩薩のように微笑む、しかし心は夜叉である。
 気迫と毒気にあてられたのか、若者は声を立てて豪快に笑った。
「竜は多淫と聞く。馬と交わり麒麟を成すなど、異種族婚が多いと聞くが…いや、一途な事よ。おぬし程の者が心惹かれる娘だ。さぞかし…と思ったが、それがしも命が惜しい。ここはおとなしく引くとしようか。」と言って、掴んでいた千尋の手を離した。
「だが…、じき黄昏だ。大門が開き、客がやって来る。このままでは、この娘の身、保証しかねるが?」
「…それはどういう…。」
「『油屋』ではどうか知らぬが、ここ、『備前屋』で人間の娘のとる道は二つ。湯女として身を捧げて奉仕するか、贄としてその身を捧げるか。…だ。このまま日が暮れればどうなるか、お主にわからぬとは思えんが?」
 ハクが絶句する。それこそ、千尋を連れて来たくなかった一番の理由だった。神々に奉仕する女は『油屋』にもいる。そうした饗応が時に必要な事がわからない程ハクは子供ではなかった。しかし、それとこれとは別問題だった。
 青くなったり、白くなったりするハクの表情を見て楽しむように。若者は言った。
「では、それがしが第三の道、示してくれよう。」

 馬の背に、女と千尋を乗せ、若者はハク達に着いて来るよう促した。
「何だ?それがしが信じられぬか?」
 ハクは答えない。
「ハク…。」馬上から千尋が不安そうにしている。
 そう、今はとにかく先に進むこと。
 ハクは一歩を踏み出した。
 …じきに、夜がやって来る。

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