木は森に、鳥は空に、魚は水に(3)

 回廊の先。最奥のその部屋に、女が、いた。

「おばあ…ちゃん?」と、声をかけられるのがはばかられる。それほどに、その女は若かった。千尋の母親よりも、どうかすると若い。

 虚ろだった瞳に、ゆっくりと灯りが燈るように。視線が、合った。
「…だれがおばあちゃんだって?」
 はっきりとした目鼻立ち。栗色の髪。どう考えても和装に似合わない。彫りの深い顔が笑った。
「そんな…いつの間に?」
 千尋はただ、ただ驚く事しかできなかった。
「赤竜が天井を破ったろう。あれで結界が解けたのさ。結界さえ解ければ、あんた達を追いかければいいだけの事。魂だけの身にとってはね。油屋からここまで、たいした距離じゃないんだよ。ただ、この奥の部屋まではわからなかった。ここまで来れたのはあんたのおかげさ、セン。」
 間違いなく、湯婆々の物言いだった。

「さあ、あまり時間が無いんだろう?行くよ。」
 湯婆々と共に、千尋は再び走り出した。


 カズラギの指示は、湯婆々を連れてくることではあったが、まさか魂がこちらまで来ているとは、予想もしていなかった。

 回廊の途中で、坊と出会った。闇の生き物を全て薙ぎ払ったのか、その場に座りこんでいた。

「坊〜〜〜!!大丈夫かい?ケガなんてしてないだろうねえ。」
 千尋の止める暇もなく、湯婆々が坊に抱きついた。

「え?誰?」
 驚いて、坊が千尋を見る。
 苦笑いをしながら千尋が頷いた。


 三角形の包囲網の、一点が崩れた。ヒコが倒れたのだ。片腕は完全に機能しておらず、気力で支えていたようで、息をするのがもはややっとの様子だった。
 カオナシを包んでいた結界が解ける。

 食い止められていた闇の拡大が再び始まる。

「チッ!」

 カズラギは自分の持ち場から離れ、ヒコの元へ戻る。
 ハクはたった一人で闇を食い止める。だが、それは三人で張った結界程には機能していなかった。

「もうダメだ!ハク!こちらへ!」

 カズラギがハクを呼ぶ。

「二人が…まだ、出てきていません。このまま闇が広がったら、出口がふさがる。それ…だけはっ!」

 こころもち、結界が勢いを増し、わずかだが闇の勢いが止まる。

「いかん!お前も傷を負っている。そのままでは…、体がもたんぞ!」

「…かまいません。」

 肩で息をし、傷口か完全に開いてしまっている。だが、歯を食いしばり、倒れず、闇の勢いを押し返し続けていた。

 だが、やはり長くはもたない。片膝をつくと、闇の勢いが増した。

 その時だった。

「ハク!」
 千尋、坊、そしてもう一人が、祭壇から姿をあらわした。ハクのささえるわずかな隙を縫って、闇をすり抜ける。

 三人がヒコとカズラギの元へ行くのを確認すると、ハクの気力で繋いでいた意識が朦朧としてくる。
 遠ざかる意識。倒れそうになるのを、千尋が支えた。

「ハク!」
 心配そうに千尋が覗き込む。
 遠のいていこうとした意識が、再び戻って来た。
「千尋…、大丈夫だ。私は。」
 ハクが苦痛に顔を歪める。

「やれやれ、ついにここまできちまったのかい。こいつは。」

 長い髪を邪魔そうにかきあげ、カオナシに向かうのは湯婆々だ。

「おい!これは…。」

 驚いてカズラギが坊に尋ねる。

「僕もわからない。でも、婆婆の魂が戻ってきたみたい。」

 カズラギの策は、湯婆々の体を連れてくる事だった。効果があるかはわからない。が、あるいはそれを見てカオナシを御する事が可能かもしれない。と考えての事だったが…。
「まさか、…だが、これでなんとかなるかもしれんぞ。」

 だが、もはや闇はその場を覆いつくさんとしていた。

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