回廊の先。最奥のその部屋に、女が、いた。
「おばあ…ちゃん?」と、声をかけられるのがはばかられる。それほどに、その女は若かった。千尋の母親よりも、どうかすると若い。
虚ろだった瞳に、ゆっくりと灯りが燈るように。視線が、合った。
「…だれがおばあちゃんだって?」
はっきりとした目鼻立ち。栗色の髪。どう考えても和装に似合わない。彫りの深い顔が笑った。
「そんな…いつの間に?」
千尋はただ、ただ驚く事しかできなかった。
「赤竜が天井を破ったろう。あれで結界が解けたのさ。結界さえ解ければ、あんた達を追いかければいいだけの事。魂だけの身にとってはね。油屋からここまで、たいした距離じゃないんだよ。ただ、この奥の部屋まではわからなかった。ここまで来れたのはあんたのおかげさ、セン。」
間違いなく、湯婆々の物言いだった。
「さあ、あまり時間が無いんだろう?行くよ。」
湯婆々と共に、千尋は再び走り出した。
カズラギの指示は、湯婆々を連れてくることではあったが、まさか魂がこちらまで来ているとは、予想もしていなかった。
回廊の途中で、坊と出会った。闇の生き物を全て薙ぎ払ったのか、その場に座りこんでいた。
「坊〜〜〜!!大丈夫かい?ケガなんてしてないだろうねえ。」
千尋の止める暇もなく、湯婆々が坊に抱きついた。
「え?誰?」
驚いて、坊が千尋を見る。
苦笑いをしながら千尋が頷いた。
三角形の包囲網の、一点が崩れた。ヒコが倒れたのだ。片腕は完全に機能しておらず、気力で支えていたようで、息をするのがもはややっとの様子だった。
カオナシを包んでいた結界が解ける。
食い止められていた闇の拡大が再び始まる。
「チッ!」
カズラギは自分の持ち場から離れ、ヒコの元へ戻る。
ハクはたった一人で闇を食い止める。だが、それは三人で張った結界程には機能していなかった。
「もうダメだ!ハク!こちらへ!」
カズラギがハクを呼ぶ。
「二人が…まだ、出てきていません。このまま闇が広がったら、出口がふさがる。それ…だけはっ!」
こころもち、結界が勢いを増し、わずかだが闇の勢いが止まる。
「いかん!お前も傷を負っている。そのままでは…、体がもたんぞ!」
「…かまいません。」
肩で息をし、傷口か完全に開いてしまっている。だが、歯を食いしばり、倒れず、闇の勢いを押し返し続けていた。
だが、やはり長くはもたない。片膝をつくと、闇の勢いが増した。
その時だった。
「ハク!」
千尋、坊、そしてもう一人が、祭壇から姿をあらわした。ハクのささえるわずかな隙を縫って、闇をすり抜ける。
三人がヒコとカズラギの元へ行くのを確認すると、ハクの気力で繋いでいた意識が朦朧としてくる。
遠ざかる意識。倒れそうになるのを、千尋が支えた。
「ハク!」
心配そうに千尋が覗き込む。
遠のいていこうとした意識が、再び戻って来た。
「千尋…、大丈夫だ。私は。」
ハクが苦痛に顔を歪める。
「やれやれ、ついにここまできちまったのかい。こいつは。」
長い髪を邪魔そうにかきあげ、カオナシに向かうのは湯婆々だ。
「おい!これは…。」
驚いてカズラギが坊に尋ねる。
「僕もわからない。でも、婆婆の魂が戻ってきたみたい。」
カズラギの策は、湯婆々の体を連れてくる事だった。効果があるかはわからない。が、あるいはそれを見てカオナシを御する事が可能かもしれない。と考えての事だったが…。
「まさか、…だが、これでなんとかなるかもしれんぞ。」
だが、もはや闇はその場を覆いつくさんとしていた。