再会(1)

「またね。」そう僕が言うと、少女は微笑んで、手を振り返す。少年の導きで、少女は去っていった。短い、夏の日の出来事。一瞬の邂逅。

「会いたい。」

時がたっても、薄れることの無い、強い思い。

「会いたい。」

僕を忘れないで。

「会いたい。会いたい。」

日増しに強くなっていく思い。

そして…。


 八百万の神々が集う場所。湯屋「油屋」。湯婆々という魔女の仕切るそこは、あの世とこの世の境。昨日と今日の間にあって、日々世話しなく、あちこちから神やもののけの類がやって来てはその身を癒し、去っていく。多くの従業員(その多くは蛙男となめくじ女であったが)をかかえ、少女の去ったのちも、いささか変わる事なく、時は同じように過ぎていった…かに見えた。

 が、しかし。従業員の間でまことしやかにささやかれる噂があった。それは少女が去って、数年の後の事。帳場をあずかる少年、ハクが湯婆々ととある契約を結んだのちにささやかれるようになった。
 曰く。「ハク様は2人いるのではないのか。」

※証言その1
兄役「あれは…そう、私が一日の仕事を終え、部屋に戻ろうとした時の事でございます。湯殿の方でどすどすと物音がするのです。すわ、また例の化け物かと思いまして、のぞきこんだトコロ…。こう、そのですね。ハク様が飛んだり跳ねたり。汗だくになって運動しているのでございます。何ともうしましょうか。私は見てはいけないモノを見た気になりまして、その場はこそこそと逃げ出したのですが、湯殿から帳場の前を通りかかると、きちんといらっしゃるのです。先ほど湯殿へいらしたのでは?と問い掛けると、そのような事は無い。と、こうおっしゃる。見間違い。そうですね。私の見間違いなんでしょう。」
※証言その2
リン「え?ハク…様の話ですか?ああ、もう。この間、父役にも言ったけどさ。こう、しきりにあの子の事を聞くわけさ。最後にあの子を送っていったのはハク様だし。私は知らないですよ。というと、あの子が自分の家の話をした事はないのか。とか聞いてくるからさ。まあ、知らないって答えたんだけど、その後、あ…そういえば、あの子。丘の上の青い壁の家とか言ってたな。ってのを思い出して、言いにいったんだよ。そしたら、自分はそんな事聞いてない。…と、こうさ、失礼しちゃうよね。本当。」

「…との事です。」

 青蛙が書き留めた書面を読み上げる間、ハクは困惑し、鎮痛な面持ちで、眉間の皺を指で押さえた。確かに、自身の反応を見てけげんそうにされたり、いぶかしまれたのは一度や二度ではなかったので、ただ、こうも、確証がぞろぞろと出てくるとは思っていなかった。あまりにも多くの者に見られすぎている。
 おおよその見当はついている。その為に、ハクは油屋に残り、日々を過ごして来たのだから。そして、その後の展開も、およそ想像がついていた。

「ハク!ハクはいないかい!!」

足音もさせずに、空を一直線に飛んで来る。ハクの主人、湯婆々その人であった。

「お呼びでしょうか?湯婆々様。」
帳場から立ち上がり、湯婆々に向き合う。
「坊が!坊がどこにも見当たらないんだよ。私のかわいいあの子が。いなくなってしまったんだよ。」
 普段の倣岸な様子は微塵も無く、ただ、弱い母親の姿がそこにはあった。
「…!まさか!あの女のトコロへ行ったんじゃないだろうね!あの、いつも私を出し抜こうとしている、あの女のトコロへ!」
 あの女…というのは、彼女の姉の銭婆の事。湯婆々は穏やかだが、底知れぬ姉に常に脅威を感じており、過剰に意識しているのだ。当の銭婆は、それを知っているにもかかわらず、否、知っているからこそなのか、時々妹をからかうようないたずらをして、人の悪い笑みをもらすのだ。別段出し抜こうなどとは思っていまい。ただ、妹をからかうのが楽しくて仕方がないのだろう。湯婆々の息子。坊はこの伯母によく懐いており、時々油屋を抜け出しては沼の底にある彼女の家に逐電しているのだが…。
「いいや、来ていないよ。」
ふいに、帳場の入り口で声がした。
「アンタ!アタシの坊をどこへやったんだい!!」妹は姉につかみかかろうと飛びついたが、その身は空を切り、あやうく壁にぶつかるところであった。彼女自身が来たわけでは無い。式神にその身を映しているにすぎないのだ。
「やれやれ、そんな風に子離れできてないから、息子に愛想つかされんのさ。とにかくあの子はアタシのトコロじゃないが…、まあ、預かり物があったからね。届けに来たのさ。まったく、このアタシを使い走りにするとは、アンタ以上にずうずうしい子だよ。とんでもない大物かもしれないね。」そう言って、彼女を映していた式神がひらりと湯婆々の手元に降った。銭婆の姿は既に無く、式神かと思われたのは一通の封書だった。
 無造作に封を切り、中の手紙を取り出す。読み進むごとに、湯婆々の結い上げられた髪からほつれ毛が飛び出す。
「坊〜〜!!!」怒りとも悲しみともつかぬ、やりきれない声だった。
「ハク!あんたの入れ知恵じゃないだろうね!」
 射殺さんばかりの視線が、ハクに向けられる。
「何の事でしょう?」涼しげに視線をそらす。
「あの娘を助けた時に誓った言葉を忘れちゃいないだろうね。坊が見つからなかったら、あんたのその身を裂いてやる。」
「ええ、忘れてはいませんとも。ですが、あなたも、お忘れではありませんか?誓いには代価が必要だ。あの時、私はあなたと、千尋とその両親の開放を約しましたね。今度は何と引き換えていただけますか?湯婆々様。」にっこりと、しかし、真剣な口ぶりでハクが返す。
 湯婆々は深くため息をつき、一枚の筒状に青いリボンで結ばれた誓約書を空から取り出した。
「いいだろう。あんたが無事、坊を連れて帰ったら、この誓約書はお前のモノだ。」
 ぱあっと、ハクの顔に笑みが浮かぶ。
「だが!坊に何かあってごらん。今度こそ、アンタのその身を引き裂いてやるからね。」 2人のやりとりを青蛙が固唾を飲んで見守っていた。

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