コイよ、コイ、いつか銀河の瀑布を昇り、天高く舞う龍となれ。
――――噂があった。
川を失った龍神の居る湯屋があると。そして龍神は、人の娘を娶り、間に一子をもうけたと。
生まれた娘は長じてたいそう美しく育ったとか…。
「龍の娘とな」
「しかも人と成した子だそうな」
「人と龍の間に生まれた娘か」
それはどこだ、どこにあるのだ。龍の娘のいる湯屋を、
――――油屋といった。
夕闇に、ほの明かりの映える時計台を抜けて川を渡ったその先に、大きな煙突、轟く湯の滝を持つそこは油屋。
柚子に菖蒲、蓬、菊、薬湯の数々にしびれ湯、泥湯に塩湯、氷のういた冷やし風呂に至るまで。傷ついた霊々や、あてもなく集まるモノ達が、今日も今日とてその身を癒す。
その一室に、長逗留するモノがいた。逆立った赤い髪を高い位置で結い、紫の瞳を紅で隈取、金糸銀糸の綾絹を纏ったその男神は、たいそう羽振りがよい上に、何しろ色男だということで、とっかえひっかえされる湯女達も、今日こそは我が召されるものと揚々化粧も念入りに、我先にと声かがりを待っていた。
その晩も、念入りに可愛がった湯女の一人の膝枕で、その男はのんびり煙管をふかしていた。
「この湯屋には龍がいると聞いたんだが」
ぽつり、と、男がつぶやく。
「ハク様の事?」
愛撫の余韻が甘い吐息となって、女が答える。
「へえ、じゃあ、人の子もいるの?龍が娶った娘だそうだね」
「セン様ね、ええ、いるわ」
「客はとらないの?」
「ぶるる、そんな事させたらこの油屋は大変な騒ぎになるでしょうね、帳場の奥方様ですもの、客をとったりはしないわ」
クスクスと笑いながら、瞳の奥で、龍を畏怖する意識が垣間見える。実際、油屋をとりしきっているのは「ハク様」ことその「龍」なのだから。
「噂で聞いたけど、娘がいるんだそうだね、じゃあその娘も見世には出ないんだ」
湯女は、少しうんざりしてきた。正直、千里の事を尋ねられる事は多い。龍と人の子である千里をはべらせたがる神は多く、また、どこかでその容貌を垣間見てしまったモノは、龍の子である事などにこだわりなく興味をもち、尋ねてくる。
これじゃあ、いい面当てじゃないの、と、湯女は少しむくれて、
「先ほどから、他の女のお話ばかり、あなた様の目の前にいるのは、どうやら私でなくてもよろしいようですわね」
そう言う、湯女の膝から、ゆったりした動きで男が起き上がると、まっすぐに湯女の瞳を見つめて、男が言う。
「おや、僕は美人の前だと緊張してつい別の話ばかりしてしまうんだよ」
そうした顔は人なつこく、憎めない。
「まあ、緊張ですって?先ほどのあれはとても緊張なさっている方のなさりようではありませんでしたけれど?」
「じゃあ、証を見せようか」
ひらり、と芳香を放ち、袖が揺れると、男は湯女を抱きすくめた。
「鼓動が聞こえるでしょう?」
どっくん、どっくん、どっくん。
確かに、男の鼓動は早い。女は、しばし、男の腕の中でまどろみそうになった。
「ふふふっ、でも、千里はダメよ、だって若様の婚約者ですもの」
つい、聞かれた事に答えてしまっている事に、女は気づかない。
「ふーん、…そうなんだ」
そう言うと、男は二人の体の隙間にするりと手を入れて、女の柔らかな胸に頬をうずめた。
「今度は僕が君の胸の音を聞く番だ」
そのまま、倒れこみ、男は女を組み敷いた。片方の手はすでに女の裾を弄び、奥へ奥へと伸びていく。
じゃれあうように睦みあうようで、けれども男の瞳が冷たく光る。
娘の名は、千里、…千里ね。
それは、獲物を定めた狩人のそれに、似ていた。
表題クリップアート:双子屋様