空と海の交わる場所〜ヨノハテ〜(3)

  見送りは、湯婆々だけだった。
 
 満天の星空の下、坊、ハク、千尋が旅支度を整えて、列車を待つ。線路のある海と、星空の境界がわからない程に、海水は星空を映し出し、宇宙空間にいるような錯覚さえ覚える。
 そういえば、こちらで見る星空と、あちらで見る星空、見える星座にあまり変わりがないような気がするな。天の川も見えるし。千尋はのんびりそんな事を考えていた。
 釜爺にもらったパスを各々が手にしている。これから、夜行列車がやって来る。それに乗って、終点の駅「ヨノハテ」を目指す。そして、湯婆々の本当の体のあるもうひとつのお湯屋「備前屋」へ向かうのだ。そう考えると、ひどく簡単な事のように思えて、どうしておばあちゃんも、おじさんも、危険を連呼するのかがわからなかった。
 線路は真っ直ぐ水平線を目指し、空と海を分けているのは、おそらく線路だけだろう。
 星が流れる。ひとつ。またひとつ。
「わー流れ星だー。」千尋ははしゃいでみせるが、少しだけ不安にもなる。古来、流れ星は不吉の予兆。そんな文面を思い出して。
 旅立ちの門出に流星雨。空の流星と海の流星が線路の上でぶつかり合う。
 大丈夫だ。きっと。心の中で、自分に言い聞かせた。不安を形にしないように。頭の中の霧を払うように。おばあちゃんの体を取り戻して、ハクに新しい力の源を。そして、一緒に元の世界に戻る為に。


 海面を滑るように、ホームに列車が到着する。10歳の時に乗った列車とはまた違う。青い車体に白い線。窓にはカーテンが懸かり、明かりが漏れていた。

「それでは、行きます。」
 ハクと湯婆々が向き合う。そこには、支配する者と隷属する者ではなく、師弟関係の…、弟子の成長を信頼する師匠の顔と、巣立って行く弟子の顔があった。
「坊の事、頼んだよ。」
 そして、こちらはまぎれも無く、母親の顔。早すぎる巣立ちにたまらず、湯婆々は坊を抱きしめる。
「坊。お前に、この旅は多分まだ早すぎて、そして、辛い旅になる。ハクの言う事をよく聞いて。…ね。」抱き合う母子の、母の声は、最後は涙で掻き曇る。行かせたくはないだろう、この旅に、それでも送り出す気になれたのは…やはりハクを信じているのだろう。
「大丈夫だよ、婆婆。僕、必ず帰ってくるから。そしたら…婆婆と、3人でお茶を飲もうね。」いつもは母親に生意気な口ばかりきく、坊も今日ばかりは殊勝気だった。
「ハク…、そしてセン。『ヨノハテ』に着いたら、特にハク、本当の名で呼び合ってはいけないよ。あいつも、名前を奪う。そうなったらお終いだ。いいね。名前を。自分を失ってはいけないよ。」
 千尋とハクは力強くうなずき、踵を返す。入り口で釜爺にもらったパスを見せ、乗り込む。千尋にはわからなかったが、どうやら指定席であるらしく、ハクと車掌が人ならぬ言葉で会話している様子があった。コンパートメントから、窓を開け、ホームの湯婆々を見る。見送る湯婆々と、遠くに油屋の明かりを見、列車は…ゆっくりと走り出した。

 列車は加速をつけていく。一つ目の駅は止まらずに通り過ぎる。海原電鉄にも各駅停車と、急行があるんだなあ、とか、ぼーっと、千尋は車窓から流れる光を目で追っていた。影のような人達。
「ねえ、ハク。」
「ん?」
 黙々と荷物を片付けていたハクが窓辺の千尋に寄り添う。
 窓辺に頬杖をついていた千尋の腕に、ハクの腕が触れた。どくん…と、心臓が飛び上がる。
「あっ、あのさ、…。」口から心臓の音が聞こえてきそうな程に、回転数が上がっていくのがわかる。
「何?」…と、覗き込むようにハクの顔が千尋の顔に近づく。千尋は口ごもって、二の句が継げなくなってしまった。視線をハクから、窓の外に映す。ネオンの看板が見えたり、遠くに島があって、家の明かりが見えたり。そういった、影のようなモノ達は何なんだろう。油屋のようにはっきりとした形をもたず、ぼんやりと影だけが存在している。
「あ、あれ、何かなあ。はっきりとはしてないのに、確かにそこにあって、不思議と存在感があるようで、視界に入らないようで。そして…、ね、何だかとても懐かしい気がするの。」自分で言って、千尋はますますわけがわからなくなっていた。説明にも何もなっていない。
「私にもわからない。…ただ、こちらの世界と元の世界は完全には分離していなくて、所々で混ざり合っている。と聞いた事がある。だから、列車でないと目的地にたどり着けなくなってしまう事もあると。列車の走っているこの場所は、不安定で、線路に沿ってゆかないと、どこに迷い込むかわからないと。」
「じゃあ、この海と元の世界の海は?」
「もしかしたら…繋がっているのかもしれない。ほら千尋、あれをご覧。」
 線路から離れた、遠くに、漁火のように、明かりが見える。ゆらゆらと海面に浮いているあれは。
「精霊送りの灯篭だ。」
 数千、数万。数は見ただけではわからない。沢山のほのかな明かりが海面に浮かび、列車の横を流れていく。波に揺られる灯篭の間を、線路が抜けて行く。青い列車が、オレンジに浮かび上がっていた。

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