そこは参道に似ていた。道の両側には灯篭が立ち、道沿いに並ぶ長屋の軒先から下は格子になっていて、その向こうに、着飾った女達の姿が見える。遊郭にも似ているそこは、門の外からはわからなかったが、堀から湯気が立ち昇り、硫黄の匂いが鼻をつく。温泉街のようでもあった。
   仕事始めのあわただしい空気の中を、馬上に、気を失った女と、共に乗せられた千尋の姿は、ひどく目立つ。
   だが、千尋以上に女郎達の目を惹いたのはハクだった。長身のりりしい若者。格子の向こう側で女達がさざめく。あれは誰なのか、馬上の少女は誰なのか。いつもとは違う、慌しさとはまた違ったざわめきの中、馬は歩を進め、通りの一番奥の建物の、厩にたどり着いた。
「堂々としていれば、案外わからぬものだろう?」
   晴れやかに、若者が言う。
  「では…第三の道とは…?」苦苦しい顔でハクが尋ねると、
  「何、ハッタリよ。」と、言い切った。
   ああ、本当に、もう、何というか。度を越した、あまりにも、…緊張が解けたのか、ハクが力無く微笑む。
  「おぬし、そうしていた方が良いな、愛しい女子の前で、あまり眉間に皺ばかり寄せていると嫌われるぞ。」若者は眉間に皺をつくり、おどけた。
  「生まれつきですので。」先ほどとはうって変わった、打ち解けた表情でハクが答えた。この若者、信用できると判断したのかもしれない。
  「そういえば、名乗りがまだであったな。それがしの事は、ヒコと呼べ。うぬがハクで、その童子が坊であったか?そちらの、娘は?」
  「千尋…。」と言いかけたのをハクが制した。
  「センと、お呼び下さい。」
   ヒコは少し怪訝そうにハクを見つめたが、また元の笑顔で、そうか、とだけ言った。
「ハク、親切にしてもらったのに、今の態度はちょっとひどいんじゃないの?」
   先導するヒコに聞こえないよう、小声で千尋が尋ねる。
  「真実の名は伏せておかねばならない。…しかも、まだ信用できると決まったわけでは無い。」
   一瞥もくれずにスタスタと歩いていってしまう。歩調を合わせてもくれない。
  「ハク…もしかして怒ってるの?」
   必死で後を追い、つかまえるように問う。
  「別に怒ってなどいない。」
   すこしも表情を変えずにさらりと言ってのける。
  「ただ、ここは何があるかわからない。うかうかしていると足元をすくわれるぞ。」
   厳しい顔で言われると、二の句が継げなくなる。確かに、ハクの言う通りではあった。
  「さあ、ここだ。」女を担いだヒコが引き戸を開けた。
「カズラギ、おるか。」
   引き戸の向こうは、少し風変わりな場所だった。薄暗い中に燈るランプ。あたりに散乱する書物、紙の束、大小様々なビンには色とりどりの液体や、植物。ホルマリン漬けのようなガラスビンも見える。骨のカケラや石ころが雑然と散らかる中、かろうじてわかる机と椅子の向こうに診察台のようなものが見えた。
   机に向かって何やら物を書いていた人影が置きあがってこちらを見た。それはサングラスを掛けた白髪の老人で、長い髭を蓄えている。ずんぐりとした風貌は、あの、地蔵にも似ていた。
  「何用じゃ。こんな早くから。」
   声を発すると、そのまま書き物を続けようと机に向かう。ヒコは女を担いだまま、中にふみこみ、診察台に女を寝かせた。
  「怪我人じゃ。診てやってくれ。」
  「やれやれ、もう仕事かい。」重そうに体を起こし、女を診た。
   ハクと千尋によって応急手当てをしただけではあったが、意識が戻っていないらしい。巻いてある包帯に目をつけ、
  「なんだ、もう手当てされとるじゃないか。」と言いかけて、鼻をひくひくとさせる。
  「フン、この薬…どこかで。」しばらく考え込んで、視線を移し、初めて千尋達に気づいた。
  「ほう、こりゃめずらしい。」
   予想以上におとなしい対応に、気負った分だけ拍子抜けして、一時呆然となる。
  「これはお前さんがたの手当てかい?」
  「はい。」ハクが答える。
  「この薬は?」
  「もらったんです。ある人から。」
  「当ててやろう、この薬を煎じたのは、六本腕でわしのような色眼鏡をかけておったじゃろ。」
  「何故わかるんです?」
  「この薬に含まれてる薬草は栽培がえらく難しい上に、ほんのわずかしか精製できん。植物を育てるのと、抽出できるだけの技ァ持った奴はそうはおらんからな。」
  「釜爺をご存知なんですか?」
  「昔のな、…とすると、そっちの坊主は『油屋』の二代目か。何しに来おった。ここはお前さん方が来るような所じゃねえ。客のガラは悪ィしな。そっちの人間の娘なんざ、うっかりしたらとって食われちまうぞ。」
  「お客様を悪く言うのは感心せんな。」
   むっとしてヒコが口を挟む。
  「何言っとる、今日び川だの竃の神なんてな弱りきって、すっかりおとなしくなってこっちにゃ寄りつきもしねえじゃねえか。みーんな『油屋』に行ってんだよ。それに比べてこの湯屋に来るのなんざ、タタリ神だの、鼻もちならん気位の高い奴らばっかりで…、しかも、中には元は人間…なんて奴もいやがる。」
  「カズラギ!」
   ヒコが一喝した。
  「…まあ、そうだな、口は禍の元、そんな客でも、もてなさにゃおまんまの食いあげだ。」
   歯に絹着せないもの言いが好ましく、千尋はこの老人が好きになった。
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