「待てい。」
カズラギがハクを止めた。
「単身お前さんが向かっていっても、同じ事の繰り返しだ。」
ハクがカズラギを省みる。
「では、どうしろと。」
カズラギは、よろけながら立ち上がった。
「わしも行く。」
「そんな!ダメだよ。」
あわてて坊がカズラギを止めようとする。
「では、…それがしも、…参らぬわけには行かぬな。」
横たわり、息も絶え絶えとヒコの瞳が開く。が、既に片目は開かない。
「これはもはや、ヌシ様とおぬしらの問題では無い。湯屋の危機。黙って寝ているわけには…。」
言葉の途中でヒコが咳き込む。
「ヒコさん!」
千尋が起き上がろうとしてよろけたヒコを支えた。
「死にぞこないが、無理しおって。…だが、そうだな、まったく策が無いわけでもなくなった。…おい、ハク。お前三封陣はわかるか。」
片手をハクの肩に置き、体重を支えながらカズラギが尋ねる。
「わかります…、ですが。」
怪訝そうにハクはカズラギとヒコを交互に見た。
「お二人の体がそれに耐えられるとはとても思えません。」
「お前がどう思うかじゃねえ。やるんだよ。…できるか、ヒコ。」
ヒコは黙って頷いた。
「本当に、いいんだな。」
確認するようにカズラギが尋ねる。
「くどい。」
ヒコが答える。既に上体を起こし、立とうとするが、片腕がきかず、思うように動けないようだった。
「よし、坊、そしてセン。」
今度は坊と千尋に、カズラギが言う。
「はい。」
二人が声を揃えて答えた。
「ハク、人手が足らない。センも頭数に入れるぞ。」
「なっ…!」
ハクが言いかけたのを千尋が制した。
「私にできることがあるのなら。」
決意した千尋の瞳に、カズラギが微笑む。
「いい覚悟だ。」
ハクが、坊が、千尋が、そしてヒコが、カズラギの指示を一語漏らさず聞き入る。
時間は無い。カオナシの闇は、すぐそこまでせまっていた。
ヒコはその場に座したまま、カオナシに向かう。ヒコを頂点とした二等辺三角形に、ハクとカズラギが散った。掌をカオナシに向け、三人同時に詠唱が始まった。三人を頂点とした三角形に、光の網が出来る。一言ごとに、包囲網が狭まる。
カズラギと、ヒコが、痛みに顔を歪めるごとに、補填するようにハクが気を込める。
「縛!」
三人が同時に叫ぶと、闇の拡大が止まり、わずかだが、道ができた。
「今だ、行け!坊、セン!」
カズラギが言うやいなや、千尋と坊はわずかな闇の隙間を縫って、祭壇に向かって走り抜ける。鏡をどけたその先に、奥へ続く廊下が隠されていた。
千尋が一度三人を省みる。
「セン!早く!」
坊が先導する。
「う、うん。」
後ろ髪を引かれる様子で千尋は坊の後を追った。
廊下は暗く、蜀台がまばらに置かれ、先には闇がわだかまる。走る二人に、闇の生き物が襲いかかった。
それは、かつて、油屋の地下で見たモノ達にとても似ていた。
黒い、闇色のそれは、ぬうと、体にからみつこうとする。
坊が、千尋を背にし闇の生き物に向き合う。
「セン!ここは僕が食い止めるから、先に行って!」
「そんな!でも、坊。」
千尋がたじろいで立ち止まる。
「時間が無いんだ!急いで!僕なら大丈夫。こんなの、ハクに比べたらゼンゼン恐くもなんともない!」
言い切って、坊が千尋の背中を押す。
振り向かず、千尋が走り去る。
「ちぇ。僕の方は振り向いてくれないのか。」
ぼそっとつぶやく。衝撃は、まず横からきた。したたか打ち据えられ、よろけた。…が、すぐに体制を立て直す。
「痛ったいなあ。…もう、本当は、センにいいとこ見せたかったけど、まあ、しょうがない…か!」
腕を横になぎ払う。闇の生き物が一瞬祓われるた。が、すぐに再び集まってくる。
「ありゃりゃ。ダメか。」
坊はどこか楽しそうでもあった。印を結び、気合を込める。強烈な熱線が、闇の生き物の身を焼いた。