時の止まった部屋(1)

 女の膝でまどろむ。どれだけ時が経ったのだろうか。もはやわからない。自身の老いを忘れさせるほどに、女は年をとらず、若いままでいる。老いはその魂ゆえに。魂の無い体は時を止め、今も自分のそばにいる。望んだ結果のはずなのに、ようやく手に入れた永遠だというのに、心の隙間が埋まらないのは何ゆえか。

サミシイ。
サミシイ。

 心の声が、口をつく。どんなに体をつないでも、どんなに長い時間を一緒に過ごしても、けして埋まらない壁。どうしたら、自分はさみしくなくなるのだろう。
 男は、そんな事ばかり考えている。


 カズラギは、いつものように昇降機を降りた。長い回廊を過ぎ、御簾の向こうにいる患者の元へ。
 御簾の向こうで、何かが、…動いた。


 千尋、ヒコ、坊の三人はカズラギの後をつけていた。
「時計塔にこんな仕掛があるとは…。」カズラギの操作していた辺りをヒコが探る。
「あった、これだ。」現れたレバーを引くと、先ほどと同じように、昇降機が現れた。


 地下の御簾の向こうは、あたかも神殿のように、最奥には鏡が、燭台が並び、白い酒器と杯が膳にのせられている。鏡の前、一段高くなったところには高麗縁の畳がしつらえられて、脇息によりかかりながら、男が酒を飲んでいた。そこからさらに一段下。敷物の上に、血にまみれ、傷ついた、龍が、いた。
 カズラギが眉をひそめる。
「だから言うたのに、部屋から出るな…と。」
 息も絶え絶えに龍がその首をもたげ、カズラギを、見た。が、すぐまたばったりと倒れてしまった。
「罪な事をする。」誰ともなしにカズラギが言う。
「それとも、同族嫌悪というやつか。」今度はしっかりと、脇息によりかかる男を見据えて言った。
「優しくて、愚かな生き物。むくわれぬ思いに身を焦がし、死んでいく。」表情を変えずに、男が言った。
「だが、それしきで死にはしないよ。まだ、生かしてある。そうだな、退屈しのぎに、おもしろいものが見れそうだ。そら、」男が右手のひらを御簾にむけると、風がまきおこり、はためく。几帳の影に隠れて様子を伺っていた千尋達が姿を現した。
「おや、驚いた。そちらに見えるのはウチの者ではないか。…カズラギ共々、仕置きが必要なようだ。な。」あくまでも涼しげに、指先を弾くと、ヒコが壁に叩きつけられた。剛音と共に、壁がめり込み、ヒコは一瞬うなって、その場に倒れた。
「ヒコさん!」驚いて千尋が叫び、ヒコに掛け寄る。坊は、黙って男をにらみすえていた。そう、この男が。
「お前が、ヌシ…か。」声を絞りだすように、坊が言う。
「真実の名ではなくとも、そなたごとき小僧に呼ばわれたくはないな。…が、そうだ。ここの者は私をそう呼んでいる。」退屈そうにあくびをひとつして、杯の酒を飲み干す。
「湯婆々の体を返せ。」
 杯を干しながら、ぴくり、と眉根を動かす。
「お前は、…そうか。」ヌシが杯を投げ捨てる、大きな音をたてて、杯が壊れた。ヌシは右手を坊に向かって構える。
「およしなさい!」
 カズラギが割って入った。
「おや、お前はいつからそんな善人面をするようになったんだい?カズラギ。」
「いくらわしといえど、親子で殺し合う様を黙って見ているほど堕ちてはおらんつもりじゃよ。」
 すう、と一息つき、人差し指で空に横線を引く。
「では、先に死ね。」
 一瞥し、衝撃がカズラギを捕らえる。悲鳴をあげ、カズラギが片膝を着く。肩で息をしているが、致命傷にはなっていなかった。
「いいのか?わしがおらねば、湯婆々の体は腐っておちるぞ。」
 息も絶え絶えにカズラギがつぶやく。
「ああ、いいさ、こいつらに持ち去られるよりはいい。」
 そう言ってヌシは笑った。が、泣いているようにも見えた。
「さあ、これでどうだ!」再度の衝撃が見まわれる。
 カズラギは、今度は立ったまま持ちこたえた。坊をかばうようにして背に隠す。
「カズラギさん、もうやめて!死んじゃうよ。」前へ出ようとする坊を押さえつける。
「坊、お前の母親が魂と体にわけられたのは、お前が生まれたからだ。」
 カズラギの言葉に、坊が凍りつく。
「はっ!背を向けるとは随分と余裕だな。カズラギよ。」
 ヌシに背を向けたまま、坊をおさえるカズラギをまたしても衝撃が襲った。崩れ落ちながら、カズラギが言う。
「あの…馬鹿野郎はお前に嫉妬したんだ。ったく、それでも父親か。…自分をかえりみない湯婆々に腹をたてて、あいつは体だけでも側に置こうとしたんだ。あとは、お前も知っての通り、銭婆が湯婆々の魂を仮宿として、自分の身に収めた。…だから、お前じゃダメなんだ、お前はヌシを怒らせるだけ、あいつを、…救ってやる事はできんのだ。」最後は、もうはや崩れ落ちるように、言い残すと、そのまま、そこに倒れこんだ。

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壁紙提供:幻影素材工房様