着のみ着のままの千尋の服はワンピース。いささか動きにくいのでは。と、言い出したのはハクだった。
「…似合わない?」
そういう問題ではないのだが、そして、わかってはいるのだが、確認するように千尋が尋ねる。
「言っただろう?何を着ていても、千尋はかわいいから。」
臆面もなくさらりと言ってのける。心の底で、本当は何も着ていないのが一番かわいい。(見たことはないけれど)と言っていたのかは定かではない。
得心したのか、千尋はうれしそうにしている。
閑話休題。
リンは、女中頭になっていた。数十人の手下をかかえ、下の者に、その日一日の仕事を与え、確認し、助け、見守る。最初こそ、おっくうがってはいたが、そこは天性の姉御肌が幸いし。下の者からも好かれ、効率も上がり、父役、兄役からも一目おかれる存在となっていた。 もっとも、未だに、「いつか出て行ってやるんだ。」というセリフは忘れていない。かつて、彼女が初めて面倒を見た人間の少女は元気でやっているか。小さくて愚図だったが、根性は今まで見た誰よりもあった。というのも。彼女の口癖だった。
いつものように、休憩時間。相変らずの昔話に、さすがに尊敬する先輩とはいえ、こう繰り返されてはたまらない。といった態で、娘達が苦々しく相槌を打っているところに。 当の千尋…センが現れた。
「セン!センじゃないか!どーしたんだよ。いつ来たんだよ!うっわあ。懐かしいなあ。元気にしてたか。随分背が伸びたじゃないか。」
矢継早に質問してくる。リン自身も、元々顔立ちのはっきりして、きりりとした娘だったが、ある程度責任ある立場に立っているせいか、ますます表情の輝きは増し、生き生きとしている。快活な美女になっていた。
「旧交をあたためている時間は無いんだ。」同性同士のセンとリンに嫉妬を感じたわけでもあるまいに、ハクが鉄面皮の表情で水を指す。これから、湯婆々の用事でセンを連れて出かけなければならないので、装束を一揃え用意して欲しい、とだけ告げ、用意が出来る頃にむかえに来ると言い置いて、その場から立ち去ってしまった。
「ちぇーっ、相変らずイヤな奴っ!」年には不似合いなむくれ方が、かえって愛らしい。「あいつってさあ、いつもはこーんな顔してるくせに」と言って、リンが目尻を上げ、つり目にする。
「センの話となるとゼンゼン表情とか違うんだぜ。」
リンのおどけた様子がおかしくて、千尋は吹きだし、周りにいた娘達もころころとさざめくように笑った。
「来いよ。すぐに用意してやるから。」センをともなって、リンもその場をあとにした。 大股でスタスタと歩くリンの後ろをとてとてとセンが着いていく。
「随分背が伸びたなあ。セン。」
「リンさんも、びっくりした。美人になってて。」
「おーっ!お世辞なんて言えるようになっちまったんだねえ。」そう言って、千尋の首をはがいじめにする。
「お世辞じゃないよお。」髪をくしゃくしゃにされながら、千尋は少しだけ、心の奥がちりちりしていた。リンがハクを「嫌な奴」と呼んだ時も少しだけほっとしていたし、ハクがリン達に冷淡な態度をとるのも、かえって安心だった。自分のいない間、ハクの周りに別の女の子がいる…、その事に、嫉妬を感じたのかもしれない。なんだか、そんなのって嫌だな。と、千尋は考えを打ち消すように首を振った。
リンが用意してくれたのは、緋色の袴の、…神社の巫女のような装束だった。
「もう前の水干じゃあ小さいからな。」
そう言うリンは男装の白拍子のようなナリで、裾を絞って動きやすくしていた。
身支度を整え、再び帳場へ行く。ハクは帳面を広げ、引継ぎをしていた。
「しばらく留守にする。」そう言い放つと、帳面を蛙男に渡し、千尋に向かう。
「…迎えに行くと言ったのに。まあ、いい。用意はできたか。では、参るぞ。」よそよそしい物言いに、はっとなる。千尋のとまどった表情を見ると、破顔一笑。
「似合っているな。」
帳場に…戦慄が走った。ハク様が…笑っている。あちこちから、ひそひそとささやき合う声が聞こえてきた。
「…私はゆく。皆、仕事に戻るように。」大きく咳払いをすると、千尋の手を引いて、つかつかと衆人環視の中、出て行った。
一同面くらい。帳場は大騒ぎとなった。ハク様が笑ったぞ。しかも、センに似合っていると。あのようにとろけそうなお顔で。大変じゃ。だの。よくない事の前触れじゃ。だの、無責任に騒いでいる声は、ハクの耳にも届いていた。
「だから、迎えに行くと…。」恥ずかしそうにうつむき、照れて目を伏せる。
「ハク…やっぱり、いつもああなの?」歩きながら、千尋が覗き込む。
「仕事中だ。愛想はお客様に対してだけあればいい。」むっつりしてハクが答える。
「でも、私が油屋で働き始めた時もああだったよね。ハク様と呼べ。って。今だから言うけど、あの時、すごく恐かったんだよ。心細かったし。」
「いや、あれは…。」ハクが口ごもる。
そうこうしているうちに、二人は湯婆々のオフィスに着いてしまった。入ってくるなり、不機嫌そうな千尋と、なだめようとするハクに遭遇した坊は、きょとんとして尋ねた。
「坊、知ってるよ。ちわ喧嘩っていうんだよね。」
「坊…どこでそんな言葉を。」困惑して、ハクがうなだれた。